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ず〜っと無所属・鹿児島市議会議員小川みさ子

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 市民運動と共に (みさ子の原稿集)

(市民意見30の会・東京への寄稿〜 市民の意見103号・8月号より)
〈鹿児島から〉 憲法25条に沿った福祉の充実を 小川みさ子

日本の社会保障の現状

わが国の社会保障は保険制度が中心で、雇用、医療、年金、介護に至るまで強制加入です。この自己負担にプラス税金が投入されてきたシステムに影がさしはじめ、多くの国民が安心して歳を重ねることさえできなくなっているうえに、今回の年金騒動で、国民はさらに不信感を募らせています。経済のグローバル化という世界の潮流の中で格差は拡大し、自ら命を絶つ国民が毎年3万人を超えています。

あまりの低賃金で食うや食わずのまま、宿を求めてネットカフェや24時間営業の店をさまよう若者たちや、働いても働いても生活保護水準でしか暮らせないワーキングプアと呼ばれている人たちが増え続け、生活保護所帯と合わせると日本の全世帯の10分の1以上といわれています。さらに定率減税の廃止による増税も追い討ちをかけ、憲法25条第1項「すべて国民は、健康で文化的な最低限度の生活を営む権利を有する 」はいよいよ空洞化しているといわざるを得ません。格差是正が声高に叫ばれ、行政も多重債務問題解決の施策に、やっと重い腰を持ち上げたところですが、同条第2項は「国は、すべての生活部面について、社会福祉、社会保障及び公衆衛生の向上及び増進に努めなければならない」と規定しています。社会福祉などの充実は国がなすべき義務なのです。

「野宿生活者をささえあう会」の活動

このような現実を背景に、私は鹿児島市で、たまたま今は持てる者が、持たざる者、野宿生活を余儀なくされた人たちの自立を支援しようという、「野宿生活者を支えあう会」で活動しています。ホームレス生活者は今後ますます増えると予想されますし、またホームレス生活にならないようにするため、ネットカフェ難民とシニア・ホームレス生活者の実態を把握しておく必要性を感じ、同会メンバーの依頼で、社会福祉施設、生活保護施設、母子生活支援施設、婦人相談保護施設、DVシェルター(注参照)、更生保護施設などで生活する人たちの調査をしました。
※ 注 DVはドメスティック・バイオレンス(家庭内暴力)、シュルターは保護施設

毎週火、木、日のおにぎり配り、生協連合グリーンコープからの野菜、フェアトレードのネグロスバナナなど果物の無償提供などに支えられ、月1回、元ホームレス生活者の自立支援のための料理会も開催しています。また残った野菜や果物を素材にしたお菓子作りによるお米代稼ぎや衣類集めを続け、この6月には行政に次いで独自のホームレス生活者実態調査も行ない、秋にはNP0法人を立ち上げます。さらに、メンバーの司法書士、大学教師は、社会福祉士、精神保健福祉士などと共に、貧困や障がいなどの理由により連帯保証人の引き受け手がなく、賃貸住宅に入居できない人たちへの連帯保証人の提供と継続的な支援をしていく活動も進めつつあります。

ある高齢ホームレス生活者のケース

ここで、ある高齢のホームレス生活者への虐待暴行のケースを紹介します。今年2月末、鹿児島市の繁華街である天文館で、ホームレスのおじいちゃんが歩けなくなって、荷物を抱えお尻で歩いているという連絡を受け、すぐ駆けつけたのですが、すでに姿がありませんでした。それから数日たって同一人物らしき人が、公園近くの派出所に保護されたと、ホームレス生活者からコレクトコールがありました。確認のため交番に電話すると苦情があり中央公園に運んだとのこと。その数日後、同じ公園で若者から殴る蹴るの暴行を受けているのを目撃した人から別の派出所に通報があり、今度はパトカーで中央公園から泉公園へ移されたという連絡がありました。移された先の泉公園に走ると、雨に濡れ背中を丸くしてパンをかじっている姿を発見。話しかけても口を開かない状態が数日続き、メンバーで朝夕、人海戦術で見守りましたが、「寒が戻ってきたので凍死してはいけない!」と、私が出席している鹿児島市議会の本会議終了後に集合してレスキューを決めました。

レスキューの日も雨が降っていて早朝、ザビエル教会の人とホームレス卒業の人が、2週間以上トイレに行っていない衣類を廃棄し、シャワーで体をきれいに洗って着替えなどを準備。私が駆けつけると、警官3人とメンバーが待っていました。動こうとしないおじいちゃんを、私が役所の人間ということにして病院行きを説得。やっと首をたてに振ってくれ、メンバーに抱えられ病院へ。その後、病院のソーシャルワーカーに相談し、受付を済ませ、市に電話をして生活保護の書類を整えてもらい、血液検査-心電図-レントゲンと病院の中を一緒に右往左往し、担当医から入院の許可が出たときは夜更けでした。

いつも一人ぼっちのそのおじいちゃんは、5、6人が付き添っていることがうれしかったのか、何度も涙を拭っていました。私が入院保証人になり、ベッドに横たわったのを見届け、家族代わりとしてオムツ運びなどを引き受けることになりました。こうなるまでに最初の通報から実に2週間近くも経過していました。この間、何度も通報が行ったのに、警察は、暴行を受けていても、トイレへも行けず下着が濡れて汚れていても、歩けなくても、現場から別な公園に移して置いてくるだけ……。まるで人間をモノ扱いしているような警察の姿勢には驚きました。77歳のこの方は、幸い入院中に厚生年金があることが分かり、市が大阪の姪を見つけてくれ、大阪の施設へと引き取られていきました。

もう一人の高齢ホームレス生活者の例

次の例は、昨年の9月に日本キリスト教団串木野教会からの電話から始った89歳のホームレスのおじいちゃんのレスキューです。JR+タクシーで教会の人に連れられ、鹿児島市役所着。そのおじいちゃんは、戦時中、片目に武器の破片がささって視力が落ち、歩きもおぼつかない様子で行き倒れ寸前でした。

いったいどうしたらいいのかバタバタしながら、「野宿生活者を支えあう会」の代表に息を切らしながら報告。身分証明書などは一切なし。記憶も昔のことは詳しく覚えていたりするのに、ごく最近のことは分からないという状態でした。関東大震災にあったこと、海軍だったこと、商売に失敗し身内は妻も子も亡くなって天涯孤独であることなどだけが分かりましたが、放浪生活を始めてから20年も経ち、とにかくもう野たれ死ぬしかない……と生きる気力が失せていました。

市役所に事情を伝え、さてどうするべきかと悩み、交渉を重ねるうち、市役所側から養護老人ホームを紹介されました。感染症がないという検査証明をもらうため、市側が出した診察(検査)命令書を持って病院に走り、検査後、入院が許可されました。1年以上お風呂に入っていないということで、まずは看護助手に体を洗ってもらい、着替えを準備し、市役所職員との連携で入院そして入園OK、となりました。

健康診断のための入院手続き、生活保護申請の手続き、養護老人ホーム入所手続きがアッという間にすすみ、「20年ぶりにダンボールでなく布団で眠れる! 天国か、夢の中にいるようだ」と喜ばれました。市の迅速かつ心ある対応に感謝!です。その後、その89歳のおじいちゃんを老人ホームに訪ねてショックだったのは、デンマークやスウェーデンと違い、殺風景な3人部屋に入れられていたことです。そりゃ、路上で毎晩、ねぐらを探すよりははるかにマシかもしれませんが、プライバシーの保護どころではありません。

NHKの番組「フリーター漂流」に登場した若者たちのタコ部屋もかなりショックでしたが、養護老人ホームも雑居とは知りませんでした。ここは、憲法25条に沿った日本の福祉の見直しどころだと思い改善を求めています。また「行政・警察・病院などの連携を強化するシステムも構築していかなくては!」と、ますます、私たち支援グループの活動の重要性を自覚しているところです。
(おがわ・みさこ、鹿児島市議会議員)

 

 











 

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