市民運動と共に (みさ子の原稿集)
◎福井県の大飯原発で働いたことのある仮称・薗田盛隆さん(40代)へのインタビュー
小川みさ子 (鹿児島市議、 NPO法人かごしまホームレス生活者支えあう会理事)
巨大科学の先端とはいえ、被ばく労働者の命の犠牲なくては稼働できないのが原発だ。9月1日から2号機も定期検査に入り、現在2基とも稼働していない川内原発だが、 9月1日現在、定期検査の現場で働く人の数を九電本社に聞くと2,643 人中、下請け孫請け労働者は2,350 人、九電社員293 人とのこと。
過去45年で、被ばくを余儀なくされ働く多重下請労働者は45万人と言われる。その中で労災申請をしたのはたったの20人、労災認定が下りたのは東海村JCO事故の3人は別に10人という。3・11福島原発事故後、国は緊急時100ミリシーベルトを250ミリシーベルトに、通常時50ミリシーベルトだった被ばく線量の上限を撤廃した。まさに、命の規制緩和だ。
下記、ホームレス時代に福井県にある大飯原発で、二度働いたことのある男性へのインタビューです。
Q 原発で働こうと思われた動機は?
A 仕事がなく、野宿暮らしをしている時に、公園で誘われました。厳しい冬を覚悟していた秋の終わりでした。「これで、寒い思いをせず、屋根の下で冬が越せるし、日当も貰える!」いい話だと思って直に決めました。
Q そうでしたか。原発といえば特殊な仕事ですよね。何か専門的な訓練とかあるのでしょうか。
A 原発に到着してカードが出来るまで約1か月待機しました。その間、訓練はなく、詰め将棋やトランプ、読書などをして過ごしましたが、日当が貰えました。(福島第一原発の事故後は、緊急事態でカードを作るのを待っていたら、即、戦力の仕事にならないけれど、どうなっているのだろう?)
Q 原発の定期検査ですから、当然ながら被ばく線量をチェックされながら作業されるんですよね。放射能に関する知識や危険性については、現場に入る前に教わるのでしょうか。
A はい。安全教育を1回目は関西電力の食堂で、2時間×4日間、2回目の時は関連会社の立派な詰所で受けました。安全教育では、「放射能被ばくに関する国の基準があり、きちんと管理している」ということを教わりましたので、初めは特に放射能を気にして働く仲間は、自分も含めていないように見えました。
Q 徹底した〈安全すり込み教育〉ですね。管理区域内での仕事はいかがでしたか。
A 待合室で、自分の出番を下着姿で待ちます。自分のIDカードと線量計を内ポケットに入れ、布の青い帽子、靴下を履いて、白綿の手袋(メンテ)をつけ、現場に着くと、黄色のタイべック(防護服)と靴下を履き、メンテの上にゴム手袋をして働くのです。「どこがタービン建屋、原子炉建屋」といった説明はなく、タイべックをつけていない時でも、今よくテレビに出てくるブルーのキラキラ輝いているプールの横を移動したり、垂直タラップを上がったりしていましたが、「あれって、もしかして燃料プールだったのだろうか?」と、今頃、恐ろしくなります。当時は、何も意識せずに管理区域内の原子炉建屋で働いていた、ということになります。
Q 管理区域内であることを意識せずに働いていらっしゃったわけですね。それこそ放射能は見えないし、臭わないし、感じないので、基準以上の被ばくをしているかどうかは、わかりにくいですね。被ばくをされたことは、ありましたか。また、だいたいどれくらいの時間働くのでしょうか。
A 被ばくは2度しました。ボディカウンターでランプがついて、石けん、シャワーでこすってランプが点灯しなくなるまで除染しなくては、退室ゲートの扉が開かないのです。
やっと退室できると、待機室に待っている仲間たちと一緒に、送迎バスで寮に帰宅できるというわけです。作業時間は、黄色のエリアでは約20分働き、青いエリアでは1〜2時間でした。一度、赤いエリアの炉心のところで部品交換をしたことがありましたが、さすがにこの仕事の時だけは多人数で訓練を受けました。誰かのアラームが鳴ったら即交替しなくてはならないからです。自分の場合、結局2度被曝しました。あちこちで、アラームが鳴り始めると無気味な思いをしたことを思いだします。
Q 被ばくされ大丈夫だったのでしょうか。放射線管理手帳に、作業員個別の被ばく履歴を記録するので、自分の被ばく量が分かるようになっているわけですが、どうでしたか。
A 被ばく後、福井のH病院というところで検査を受け、数値が高いので、田舎に帰ったら大きな病院で検査を受けるようにと言われ、鹿児島に帰ってきたけれど、お金がなく検査は受けないでした。帰ってくる時に、職長(まとめ役の人)に、自分の手帳をくれるようにと頼んだが、渡してもらえなかった。
Q 自分の命に関わる手帳を、渡して貰えなかったのですね。
A そうなんです。今でも腑に落ちません。だから自分の累積被ばく量は分からないままです。
Q ちょっと聞きにくいことですが、日当は、おいくら貰ってらっしゃったんですか。
A 上司に確認したわけではないのですが、毎日平均20分位の作業で、4〜5万円出ていたらしいですが自分には1万円前後でした。これも仲間うちから聞いた話ですが、他の会社の下請は8、000円という人も、いました。短時間で1万円なので、結構、割のいい仕事だと、思っていましたが、本当はその4、5倍以上出ていたのです。
Q いわゆるピンハネですね。放射能に身をさらし危険な作業をさせておいて、その危険手当も含まれているのでしょうが、危ない目にあった本人の手元には2、3割しか届かない。被ばく線量の規制緩和も問題ですが、このピンハネ許せませんね。それでも手帳があれば働きたいと以前、おっしゃってましたよね。今でも原発で働きたいと思ってらっしゃいますか。
A 正直、3・11直後でも働きたいと思っていました。その後、テレビニュースや小川さんの話で、放射能や被ばくについて、いろいろな情報を見たり聞いたりしているうちに、鹿児島弁でいう、あとぜき(後になって冷や汗が出る思いのこと)がしているところです。
自分の体調不良も、あの時の被ばくが影響しているのかなぁ……と秘かに思っているところです。今、福島第一原発事故の収束のために、現場で働いている人たちに、どれくらい、本当のことを教えているのか、ちょっと疑問です。まさか、ピンハネとかされていないですよね。現場で働いていただけに、複雑な思いでニュースに関心を寄せているところです。原発の危険性を知った今、「すべての原発を廃炉にしてほしい思い」が日に日に強くなってきます。(インタビュー終わり)
いろいろとお話をお聞かせ下さって、有難うございました。被ばく労働者の最もひどい例では93%をピンハネ搾取されているという。燃料プールの潜水作業もあるというが、放射能にまみれて働く彼らには補償がない。原発がすべて止まっても電気は余っている・・・。たとえ電気が足りなくても人の命を踏み台にした電気なんていらない。今こそエネルギーシフトのチャンス!一緒に脱原発を訴えて参りましょう。
その後、私は彼の渡して貰えなかった、放射線管理手帳の件を、9月末、京都で開かれた『全国寄せ場交流会」に参加して訴えた。もしかしたら、手帳を取り戻すことができるかもという微かな希望が見え、近々手続きをしてみることにしています。今更、健康についての交渉は無理だとしても、自分の積算被曝線量を知ることからということで。また、全国交流会では、原発被曝労働についての分科会に2日間参加して、薗田さんが連れていかれた敦賀市の病院は、とんでもない病院だったこと、今は廃業したということも分かりました。大きな収穫の一つとして、被曝労働をテーマに記録映画を作っている女性と知り合い、彼女が10月初めに、さっそく鹿児島の方に、薗田さんを取材に来られたこともお伝えさせて頂きます。
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