市民運動と共に (みさ子の原稿集)
(大衆の歩みを残す写真誌パトローネ2007年秋号に寄稿〜写真撮影 小川みさ子&小川彰)
小田実さんを偲び、胸に刻んだ平和のつくり方(鹿児島市議,市民の意見30の会) |
◎旅立つ小田実さんへのお別れで、鳴り止まなかった拍手 8月4日猛暑の中、私は喪服に着替え地下鉄の隅っこの席に座り、小田実さんの葬儀のある青山に向かっていた。地下鉄駅からほどなく歩くと、小田実さんの宗教のない葬儀が始まろうとしていた。白い花で囲まれた棺の両側に用意された画面に、在りし日の小田実さんの活動が映像で紹介され、まるで平和集会の中にいるようだった。葬儀委員長の鶴見俊輔さんの挨拶に続き、加藤周一さんが有言実行の人だったと称え、ドナルド・キーンさんなど仲間の弔辞が続いた後、吉川勇一さんの弔辞(後段で紹介)、それから多くの弔電が紹介された。ノーム・チョムスキー教授の、抑圧と暴力に苦しんでいる人のため闘った、私にとっても多くの人にとっても・・世界にとって大きな損失だ・・という電文も紹介され、次々に献花が行われ、出棺へ。青山葬儀場から斎場へ向かう車を取り囲むように、お別れを告げる人びとが幾重にも並び、小田さ〜ん!と叫ぶ人の声もあり、車が動き始めると一斉に天に届くような拍手が起き、なりやまなかった。小田さんの貫いた反戦平和への意思を受け継ぐ人びとの拍手とその連帯を私は胸に刻んで、その後の追悼デモに参加した。時おり「日本に軍隊はいらないぞ〜」と声を上げながら、「We shall over come ! 」を繰り返しくりかえし歌いながら歩き続けた。小田実さん、有り難うございました。 参議院選挙の自民大惨敗を見届けるかのように亡くなった小田実さんのお話を伺ったのは、昨年が最後で勝手なことを言わせてもらえば、もう少し生きて誰も予想していなかった安倍政権の自壊まで見届けてほしかった。そう、私は小田さんが鹿児島を訪れるたびに話された、憲法9条を空洞化させない「空気」を作るということに共感していた。そして今日9月18日、満州事変の発端となった柳城湖事件の日、鹿児島県教育会館で開かれた、不戦を誓う日の集会で、べ平連(ベトナムに平和を、市民連合)事務局長だった、「市民の意見30の会」の吉川勇一さんの「武力で平和はつくれない〜小田実と歩んで」と題する講演を拝聴。この報告を兼ね、小田実さんを偲ぶことにしたい。 今夜は、この夏、国連軍縮会議に高校生1万人署名を届けにいった高校生平和大使の笛田満里奈さんの報告が初めにあった。彼女の平和に対する若く熱い視点に希望を見出したところで、満州事変の年に生まれたという吉川勇一さんの登場。吉川さんは、まずなぜ自分が麒麟ビールを飲まないか?と唐突に話し始めた。小田実さん提唱した、三菱重工つまり軍事産業の一株運動で株主総会に出席した際、暴行を受けさらに、「べ平連の朝鮮野郎!」「チョーセン!」という罵声を浴びたのだそうだ。赤、ソ連の手先、売国奴等と呼ばれるのは、まぁいわば慣れていたが、この罵声は赦すわけにいかなかった。朝鮮に対して日本が何をしてきたか・・。弱い人間の忘れないための歯止め、〈自分への決め〉で、その後一切、麒麟ビールを飲まないことにし、1970年代から今に至っているとのこと。 私は障害手帳を持った高齢の吉川さんの、この非暴力で頑固な運動姿勢にいたく感動した。彼の下記に紹介する話しは終始、示唆に富んでいた。 ◎同じ想いの仲間が集うのも大切だが、更に外に向けたアッピールを! 『これまでの護憲運動や九条の会の広がり、反改憲派の結集に力を注ぐのも大事だが、それだけでは十分ではない。憲法問題に無関心な人びと、改憲が必要なのだと思っている人たちの意見を変えさせる、対話、説得、議論が必要だ。自分たちは毎年5月3日に意見広告を出す運動をしているのだが、昨年は【読売】新聞に敢えて意見広告を出した。賛否の反応に1つずつ返事を出していたのだが余りに多い反応に応じきれなくなって、冊子にまとめ1万7000冊売れた。その成果として、「武力で平和はつくれない」という一冊の本ができあがった。【私たちが改憲に反対する14の理由】が書かれたこの本は、世界の平和に九条が必要な理由、九条を実現するための手引きとしてお使いいただきたい・・・。(合同出版にて1000円にて好評発売中) デモや集会に参加できる条件のある人は限られている。九条に関する意見は十分に顕在化されていない。表現されないと世論になっていかない。そんな人が参加したり、見たりできる意見広告運動は、大きな世論の潮流を形成していくための有力なチャンネルの1つ。署名運動もそうだが、この運動をすすめていく中で、無関心派、改憲派の人びとの意見を変えていくこともできる。確かにこのような運動の効果は、即時的に現れるものではない。がしかし、時空を越えて必ずや影響を及ぼす、海を越えて時間を超えて必ず影響力を持つと、エルズバーグが悩みに悩みベトナム戦争に対する自分の想いを反芻していた時に、アメリカの反国防省デモを見たことが、機密文書暴露への影響を与えたことを後に語ったことを例に、改憲派、無関心を、変えれることに、吉川さんは自信を込めた。 ◎格差不安を忍び寄る戦争期待に繋げないために!
小田実さんの死の直前の危惧に同感すると吉川さんが話された「格差社会が広がり続け、社会不安が更に増大すれば、参院戦で自民離れした有権者が、次は、生活の根本的改善を求め、戦争が社会をリセットするかもしれないという“戦争期待論”に流れるということも、可能性として少なくない」という考え方に、私も確信を得ることができる。 さらに、小田実さんの死の直前の言葉を資料で紹介されていたので、以下、引用します。
「・・・前略・・・戦争を知らない人は、戦争に向かっていくときは街に軍歌が鳴り響き、みんなが日本の勝利をひたすら祈っているような異常な状況になると思っているらしい。でも私の経験で、ありふれた日常の中で進行し、戦争へと突入していった。 ワイマール憲法;第一次世界大戦敗北を景気として勃発したドイツ革命によって、帝政ドイツが崩壊した後に制定されたドイツ国の共和制憲法。1919 年8月11日制定、当時、最も民主的な憲法として公布されたもの。・・・注:国民主権、法律の前の平等、表現の自由、労働者の経営への参加権・・なども盛り込まれていた。1933年3月、立法権と行政権の融合を図る「全権委任法」が制定された後も、憲法は廃止されなかったが、「全権委任法」が制定されたとき、事実上ワイマール憲法は死文化した。 (以上引用おわり
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